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阿部薫論 哲学(2/2)


アングラシーンに凛然と輝く孤高の天才、阿倍薫の「速さ」「哲学」「快楽」について書いていきます。前回の哲学の続き。ではイデア性について。

 

イデアはidein=理想 という単語から来たもので、本当の姿、本来の姿、のような意味だと思って頂ければ結構です。

大きな括りで言うと
スウィングに飽きた → ビ・バップ(イデア)最高! みたいな感じです。
モダン・ジャズがイデア性だと思って頂いて構いません。

少し理論的な話をすると、Ⅱm7‐Ⅴ7‐Ⅰ のⅤ7でコンビネーションディミニッシュやホールトーンをぶち込むのがイデア性! みたいな。

 

そしてフリー・ジャズ=イデア性の解体というのは、カレーで例えると
色んなインスタントのルーある! うまい! → スウィング
ってかルーとかスパイスとか野菜取り寄せる農家も選びたくね? → モダン・ジャズ
本当にルー、スパイス、野菜が必要? うんこで作ってみるべ → フリー・ジャズ
ということです(?)。

 

小杉武久の覚書「アベ・カオルとの記憶」の後半に、阿部薫と行ったデュオの感想が書かれています。少し引用します。

___そしてこの時も私は「ひとり」であった。阿部はひとりで遊んでいたし、私もその傍らでひとりでやっていた。それは音と音で合奏し合うという定型をはなれていた。そういったフリーミュージックであった。___

阿部薫は1973年4月新宿の喫茶店でのインタビューで、モードに則ってやらなくてもメロディになる、や、僕は音を出すことしか考えてないが他の連中は音を出す以外のことを求めている、と発言しています。

 

はじめからフリー・ジャズをやった阿部薫には、途中からフリー・ジャズに来たミュージシャンとはまるでやり方が違うのです。
イデア性を相対的に考え、ただモダン・ジャズの否定でしかなかったフリー・ジャズの限界を広げようとしたではなく、そもそも阿部薫は協調やイデア性とは無縁のところで、勝手に音を出し、最初から解体されていたのではないでしょうか?




harumatiライター: 山本 春町
 映像クリエイター/ミュージシャン/ライター
こう見えても文学少年。
下ネタ大好き。変なやつ。
http://harumati.jimdo.com/

― 連載コラム:阿倍薫論 ―
・ 阿部薫論 哲学(1/2)
・ 阿部薫論 速さ(3/3)
・ 阿部薫論 速さ(2/3)
・ 阿部薫論 速さ(1/3)
・ 阿部薫論 [はじめに]


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