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阿部薫論 速さ(3/3)


アングラシーンに凛然と輝く孤高の天才、阿倍薫の「速さ」「哲学」「快楽」について書いていきます。では「阿部薫の求めていた速さ」、これを考えていきます。

 

阿部薫の死には、ある共通した客観的意見があります。
「やはり」又は「やっとか」ということです。

 

___俺は静けさが爆発するところまでやる。
   そこでは全てが現れ俺はめくらになり、俺を聞いた者は死ぬ___

 

___今、僕は消音作業にとりかかっている……___

 

ランダムスケッチ社よって出版された「阿部薫覚書(絶版)」にある、騒恵美子さん(阿部薫と知り合った当時、ライブハウスのママをしていた方)の覚書「阿部薫の宿題」は、途中、阿部薫とのエピソードを書いているのですが、そのエピソードが全てを説明しているので、省略しながら引用させて頂きます。

 


『実際に音が出てないのに、そこに音が在る、』

客席がざわつくのでステージを見ると、阿部薫が楽器をくわえて、じっと立っている。しかし、一部の人には音が聴こえるらしい。彼女自身も疲れすぎで、ありもしない音が聴こえているのかと思った。しかし、演奏後、阿部薫に確認すると、”音は出てた”と答えた。ママがどういうことか説明してくれと食い下がると「時間。時間てわかる?それがわかれば答えが出るョ」と言われ、わかるように言って欲しいと言うと、「宿題」と言ったという。締め括りはこのように書かれている。

『阿部薫の宿題を抱えたまま、まだ私はこちら側にいる』


 

阿部薫は時間を凝縮したいと考えていたようです。
そしてその究極である、時間が”ゼロ”な状態を目指していだと思われます。
それはまったくの無であり、アルトサックスを吹かなくても情報が伝わる状態を
”音楽で作ろう”としたわけです。

わけがわかりません。物理的には無理です。
ですが、それこそが、阿部薫の目指していた、憧れていた「速さ」なのです。




harumatiライター: 山本 春町
 映像クリエイター/ミュージシャン/ライター
こう見えても文学少年。
下ネタ大好き。変なやつ。
http://harumati.jimdo.com/

― 連載コラム:阿倍薫論 ―
・ 阿部薫論 速さ(2/3)
・ 阿部薫論 速さ(1/3)
・ 阿部薫論 [はじめに]


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