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阿部薫論 速さ(2/3)


アングラシーンに凛然と輝く孤高の天才、阿倍薫の「速さ」「哲学」「快楽」について書いていきます。今回は前回の「速さ」の続き。

 

演説、会見、こういったものには整数次倍音の声が向いているとされています。

アイドルは親しみが求められる昨今、昭和とは違い、非整数次倍音の声の方が、”アイドルとして”受け入れられるのかも知れません。(橋本環奈!!!)
嗄れ声、北野武が代表的ですが、非整数次倍音には直感的に「下町感」があるのです。

 

僕は常々、「カリスマ性とは、声と顔である」と考えています。
ですが、カリスマ性=倍音の関係は、時代背景によって揺らぎがある、とも言えるのではないでしょうか?
しかし一般的にいう親しみがなく、即効性がない、つまりカリスマ性のある声=整数次倍音には、突き放した印象を与える、つまり「下町感」の対義である「神々しさ」があると言えます。

「下町感」と「神々しさ」、どちらにカリスマ性を見るかというのは感覚(先ほど申し上げたように時代背景による揺らぎ等)になってしまうと思いますが、何度も申し上げますが、一般的には「神々しさ」がカリスマ性であるという認識でよいと思います。

 

話が逸れたので本題に戻しますと、つまるところ、「アルトサックスの速さ」とは
下町感や神々しさ、専門的に言えば純正律や平均律も、科学的に言えば周波数のうねりが、阿部薫の好みであった、ですから、
「阿部薫の感覚による倍音の話」
と説明出来るのではないか、と言うことです。

 

まあ、身も蓋もないですが。
しかし、これはあくまでも「アルトサックスの速さ」の話です。
阿部薫の求めていた「速さ」
の本質は、もっと狂ったものでした。

それは次回、説明致します。




harumatiライター: 山本 春町
 映像クリエイター/ミュージシャン/ライター
こう見えても文学少年。
下ネタ大好き。変なやつ。
http://harumati.jimdo.com/

― 連載コラム:阿倍薫論 ―
・ 阿部薫論 速さ(1/3)
・ 阿部薫論 [はじめに]


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