村上春樹とジャズ [1973年のピンボール①]
ジャズと関係が深い日本を代表する小説家 村上春樹。彼の作品から、ジャズやソウルフルなブラックミュージックなどが登場する小説を紹介しつつ音楽と共に楽しんで下されば幸いで御座います。村上春樹のデビュー作を含む青春三部作の二作目。1973年のピンボール。
第83回芥川賞候補にもなった作品で、スリーフリッパーのピンボール台、スペースシップを探す物語です。謎の双子が突然家に現れ、突然去っていきます。この双子が何を意味しているかはネットなどで考察が落ちていますので興味ある方は是非。
さて、この1973年のピンボールから曲を紹介したいと思います。
Charlie Parker / Just Friends
75頁に登場する曲です。
主人公の「僕」は風邪を引いて三日ばかり翻訳の仕事を休んでいました。主人公は翻訳の事務所を構えて友人と電話番の女の子と三人で働いています。山積している書類の内容は興味をそそるものばかりだと前向きな言葉で書かれています。そして電話番の女の子が「気分は?」と聞くと「悪くないよ。」「仕事の具合は?」「上々さ。」といった返事をし、チャーリーパーカーのジャストフレンドを流します。
チャーリーパーカーについて。1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビバップスタイルの創成に携わり、「モダン・ジャズ(ビ・バップ)の父」とも言われています。並外れた音楽の才能があった形跡はなく、彼に大きな影響を与えたのはインプロヴィゼーションの基本を教えた、若きトロンボーン奏者だったそうです。
1945年から1948年に掛けてが活動の最盛期であり、天才的なひらめきを伴ったそのアドリブは伝説とされています。若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送り、衰弱により心不全で早世。ジャズマンの象徴的な存在ですね。彼の驚異的なテクニックはしばしばドラッグの力によるものとされ、ドラッグをやれば才能が得られると大きな誤解を生み、ドラッグが広まった原因の一つとしてあげられています。それだけ彼の才能に憧れる人がいたということでもありますね。メロディの美しさ、アドリブをするミュージシャンなら一度は振り返って聴きなおし、原点回帰のきっかけを与えてくれる人だと思います。ですから、いつ聴いても古きよきジャズであり、そして新しさに満ちた音楽を過去から教えてくれるのではないでしょうか。
ライター: 山本 春町 映像クリエイター/ミュージシャン/ライター こう見えても文学少年。 下ネタ大好き。変なやつ。 http://harumati.jimdo.com/
― 連載コラム:村上春樹とジャズ ―
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