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ジャズって何じゃ? その2


何がでっきょんな?大石です。
先日はOut Of Jazz アニバーサリーパーティお疲れ様でした。このコラムを読んでいる人で来場した方もいらっしゃるのでは。

 

僕はMYMというグループで演奏もしました。1時間という枠の中でジャムるのは久し振りで、頭も体も使うので疲れました。
思えば1年半前、MYMの初ライブは対バンも決まらず場所だけ決まってて、どうしようもないから2時間ジャムってました。それが中々良かったのですがお客さんも数人、かなり特殊な空間での初舞台だったことを思い出します。
それからは30~40分のごく当たり前の時間の中でライブをしてきたので、短い中に凝縮する演奏に慣れてしまい1時間がとても長く感じました。

 

先日の舞台のジャズ喫茶ちぐさもかなり特殊な空間で、ジャズに対してコンプレックスを持っている僕には胃が痛い演奏になりました。

僕はそもそも小さい頃からジャズが好きで聴いていて、往年の名盤といわれるものからラテンやファンク要素のあるもの、ボサノバやビッグバンド、よく知らないけどジャズと呼ばれるものを食べ続けてはきたのですが、それは「聴く専門」の音楽であって「自分がやる音楽」とは思ったことがありませんでした。
それはもう誰よりも小さい頃から上質のジャズを、それはエリントンやコルトレーン、マイルスからサッチモ、グッドマンを敬愛してきたのとは別次元の考え方で、僕が演奏したいのはブルーズでロックでポップスだったのです。

高校生の時に一緒にやってた親友が上京して結成したグループは専門学校で知り合った関係で、ジャズやフュージョン、ハードロックを基にしたポップスを演奏していました。
僕は彼らが弾く「スペイン」を聴いて「すげえすげえ!」と思った反面、かつての仲間が高等技術を駆使した音楽をやっていることがなんか悔しくて素直に「すげえすげえ!」とは言えませんでした。
それは今でも一緒なのですが、昔よりは丸くなったと思います。
「ジャズなんてテクニックを使いまくるばかりで魂がこもってないわ」と思っていたのですがそれは半分は嘘で、僕が小さい頃から聴いてきたジャズはちゃんと魂が入っているのです。でも身近な、目の前にいる同年代の人が演奏するジャズは似てるようで違うと思っていました。

僕の中に入っているブルーズやロックには自分自身で折り合いがついているので恥ずかしくなく演奏できるのですが、ジャズだけは「その筋の人」に聞かれることが恥ずかしいと思っていたのです。僕が思うのと同じように思われたくないというか…
でもブルーズに関してはそう思われても別にいいと振り切っています。今では少し恥ずかしいですけど。

 

これはある意味でポップスやロックを演奏するアマチュア(に近い人たち)がよく言う「俺はテクには頼らない」と言うのに近くて、テクが何かわからないけど保身のために「やれない」を「やらない」と言うのと同じかもしれません。
「(やりたくないから)やらない」と「(やったほうがいいのはわかっているけど)やらない」でニュアンスはだいぶ変わります。
僕は後者で、「(やったほうがいいと思うしやりたいとも思っているけど今更難しそうだし俺はもともとロック畑だし)やらない(というスタンスを隠れ蓑にしておこう)」という事だと思います。
つまりやらないからやれないのです。

僕の友人のロック畑の人も
「ジャズは勉強しなきゃいけないと思ってはいるけど、どこからやっていいのかわからんし、詳しくないし面白いとも思わんのよね…でもジャズやってる人から見下されてるような気もして勉強しようと思ってる」という人がいますが、もう「勉強」と思ってる時点でなんかもう違うと思うのです。
でも気持ちはすごいわかります。

こういう人はセッションに行って、自分以外がみんなジャズできる人に囲まれた時の、あのなんとも言えない孤独感、妙にジャズが出来ない自分を惨めだと感じてしまうことで、余計にジャズなんか嫌いになっていくのです。なんでしょうか、あの感覚。

例えば違うかもですが、中華料理のバイトがフレンチレストランのバイトの集まりの中にいる感じ?
中華もフレンチも極めた人は同等なのに(ジャンル違いで優劣もない)、アマチュアの自分をどこか恥じていると同じアマチュアの異ジャンルに思うところがあるのではないでしょうか。
僕も以前居酒屋やうどん屋のバイトをしてて、たまに割烹料理屋の料理人と会ったりすると「僕なんてうどん屋ですから…誰でも出来ますから…」という感じになったことあります。

 

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