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Ink Spots [Sly Stone③]


 

突然スライが帰ってきました。グラミー賞の授賞式というタイミングは目立ちたがりのスライにとっては絶好の舞台だったでしょう。内密に企画された復帰劇でしたが実は綿密に準備されていたようです。スライは今度こそ『帰って来た』のでしょうか。
ファンクとロックの融合、人種の垣根を越えた理想、最高の魅力を持ったシンガー、ソングライター、ミュージック界の宝石で現代まで続くパイオニアの一人、スライストーンの復帰。最高じゃないですか。

その後も初の来日、ワールドツアーなど精力的?に活動を続けていくように思えました。
でも、その実は予定していた曲を演奏しきらないうちにステージから消えたり、突然違う曲を歌い出したり、分裂したままのバンドがそれぞれで活動していたり、スライが昔と同じように活動をしている訳ではありませんでした。

 

それでも僕はスライがブルーノートで演奏をするときに朝7時からブルーノートに行ってなるべく良い番号の整理券をもらおうと並んだ事があります。その日のライブはルーファスがメイン、これも70年代から活動をし続けているファンクレジェンド、スライは後半に登場するとの事でした。
僕の前に並んでいた人は朝4時からいたそうです。そして昼前まで僕ら以外は誰もきませんでした。昼前に来ても余裕だったじゃん!!
でもそういう事ではありません。僕はスライを、あのスライストーンを目の前で見られるなら朝一で出かけて(確か真冬でめちゃくちゃ寒かった)整理券をもらうくらい朝飯前だったのです。
ちなみに僕の前の人はルーファスの大ファンで、スライはおまけなんだけどやっぱ一番良い席で見たいよね、という感じでした。筋金入り。これには感服でした。

僕はルーファスの曲は一曲も知らないし一緒に行った友達もルーファスの事なんかちょっとも興味は無いのですが、それでもスライが僕らの目の前にきてくれるまで待ちました。そしてその時が来ました。最高のベースライン、「一緒にいたいなら」が始まってルーファスのトニーがスライを呼び込みます。

後方から現れたスライはスパンコールのキラキラした衣装。背骨も首の骨も曲がりきった、長期にわたってクスリをやり続けた人間の形でした。両肩を支えられてヨロヨロとステージに上がったスライ、僕のもう目の前に変わり果てたスライがいます。これほど感動的な体験は、この時とポールマッカートニーのライブを最前列で見られた時だけです。

スライは三曲だけ演奏し、客席を練り歩いて(その時スライの体にタッチしました)そのまま帰っていきました。アンコールはルーファスのみのステージ、1時間半程のライブでスライがいたのは20分程度だったのではないでしょうか。

僕のようなファンは、しかも日本でスライを20分でも見られた事で、ほとんど霊体験みたいな感じなのですが、普通に考えたら「金返せ!」ものだと思います。

 

その後もスライはファンカデリックのジョージ・クリントンと一緒にやったり、ルーファスと一緒にやったりしていました。でも聞こえてくる噂は、まともに歌えもしないスライが気まぐれに曲を変えたりやめたりして、戸惑う滑稽なバンドとかつてのレジェンド、みたいなものです。

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