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Ink Spots [Sly Stone②]


こんにちは。
ジャズコラムにジャズ関連を書かずにシレっとファンクやブルーズ、ましてやビートルズ話に持っていこうとしている大石です。

 

特にブルーズとビートルズ、60~70年代のロックに関しては語りたいことが山ほどあるのですが、編集長の顔色を伺いながらなんとか続いている「Ink Spots」です。
なぜ僕が恥ずかしげもなく「ジャズに非ず」な話を書き続けているかというと、僕の認識では「ジャズ」とはジャンルのことではなく一種の精神性だと思っているからかもしれません。
僕がジャズを感じたならそれは「ジャズ」だし、ロックやなぁと思ったら「ロック」だし、沁みるねぇ…と思ったらそれは「ブルーズ」なのです。

・・・身も蓋もないですね!
今回はスライの続編です。

 

前回はスライ・ストーンの時代性とバンドの関係や人種混合バンドとしての立ち位置について書きました。

Ink Spots ~All about JAZZ I think~ [Sly Stone①]

 

スライのバンド「Sly &The Family Stone」は当時としては珍しい黒人と白人が同居するグループで、人種差別の激しい60年代のアメリカにおいて一体どれだけの衝撃があったかを考えるとそれだけでスライの行動の素晴らしさがわかると思います。

数年前まで「黒人はこっちから入れ」という入り口の別れたレストランや、バスの後ろは黒人席になっていたりするなど、アメリカは「黒人と白人」を分けていました。
これは人種分離政策とか呼ばれていたとしても、ハッキリと「差別」でしょう。悲しいことです。

 

黒人の活動家は黒人としての権利を手にしようとしたし、白人側は問答無用に差別を続けていたような時代です。

現代の世界にもいまだに様々な問題があって、隣人と解りあったり分かち合ったりすることは一見難しそうに見えます。

でも60年代、それが唯一可能だったツールがあります。
それは音楽のことです。

 

音楽は例え黒人が産み出したリズムであろうと白人はレコードを求めたし、黒人のレイ・チャールズは白人の産んだカントリー&ウエスタンを好きだったと語っています。

音楽という芸術文化に関しては白人も黒人も無く、かっこいいと思ったものは理屈抜きで惹かれるものだったと思います。
「黒人はこんなにかっこいいものを産み出しているのに、どうして僕のお母さんはブルースを聴くのを止めさせるのだろう」
「白人はこんなにいい音楽をたくさん作れるのに、いつまで俺たちを避け続けるのだろう」

 

 

ひとつの答えはスライとスライのグループに表されています(この映像をじっくり見て下さい!)。
もしくはジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス、LOVE、サンタナ等、黒人と白人が同じ音楽を表現することが自然なことだという「当たり前の」主張が広がっていきます。
ビートルズやエリック・クラプトンが黒人音楽を「かっこいい!」と思い、エルヴィスの音楽に黒人の怪しさと輝きを見出だし、人種差別をする大人たちを「ナンセンス」だと批判し始めるのです。

 

もちろん黒人側も黙ってはいません。
今まで差別され続けてきた恨みはありましたし、「白人は俺たち(黒人)が産み出した音楽やリズムまで盗み始めた」という黒人勢力もたくさんありました。
ジミ・ヘンドリクスの元には黒人過激団体『ブラックパンサー』からの圧力があり、「お前も黒人なら白人なんかとつるむのはやめて、黒人の為だけに演奏しろ」と言われていました。

曰く、
「俺たちは選ばれた人種であり、白人はその劣等感から俺たちを差別するのだ」
「俺たちの兄弟達がいままで受け続けてきた仕打ちを思うなら、白人なんかのために音楽を演奏する必要はない」
「白人は黒人を奴隷として無理矢理連れてきた上に、音楽やファッションまで奪い取ろうとしている」
と。

「コンサートを中止しろ。さもなくば…」
黒人勢力の圧力は(もちろん政治的な背景もあり)黒人の有名人達に近寄るのです。ジミ・ヘンドリクスはブラックパンサーが主催したコンサートにも出演し、その異様な緊張感を語っていたりもしています。
しかし時代は音楽と共に少しずつ融和していっていたのです。その立役者の一人がスライ・ストーンでした。

 

前回の終わりに、スライは混沌とした世界へと落ちていくと書きましたが、それはあの華々しいウッドストックから二年後に発売されたアルバム「暴動」に表れています。

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