facebook_icon.png twitter_icon.png

Ink Spots [Fela Kuti]


こんばんは。引っ越ししていてパソコンを中々セッティングできていなかったので、机がIKEAから届いたのを機にやっとこさ久々に繋げてみたらカッコの入力(『』等)ボタンがおかしくなってしまった大石です。

今回は編集長のリクエスト「フェラ・クティを扱ってくれ」とお願いされたので、Fela Kuti についての駄文です。この曲でも聴きながら読んで下さい。

知らない方に説明すると、フェラクティはアフリカはナイジェリアのミュージシャンで、70年代から80年代に国政や人種差別に対して音楽で戦ったミュージシャンです。

僕は音楽の流れに密接に関わってくる「時代性」というものに興味があるので、フェラについての当時のナイジェリアの状勢等を知っていきたいと思っているのですが、意外にもこういう事に興味の無いミュージシャン仲間も多いです。

それは、「どういう状況で」ブルースが広まったか、
「誰が」カントリーブルースを広めたか、
「どうして」エルヴィスはトップになったか、
「どういう世代が」ビートルズを支持したか、
ジミヘンドリクスやボブディランは「何を」訴えていたか、
ヒッピーが「どこを」目指して歩いたか、またアメリカの「何に」抗議していたか、

等といったキーワードを知っているのと知らないのでは、同じ曲でも聴こえ方が全く変わってくると思います。

 

いま僕たちがテレビで聴こえてくる音楽に無感動なのは、僕たちがいまの時代というものに対して無感情だからではないでしょうか。

酒で酔っぱらったときに物事の聴こえ方や捉え方が変わったように感じるのは、普段全く無視し続けている「進行形の時間や状態」を意識できる状態だからかも知れません。酔った奴が聞き慣れたポップスを聴いて急に泣き出したりするのはそのせいです(あくまで想像だけど)。

ちなみに僕の敬愛する岡村靖幸は、いち早く時代の変化に気付き作品に反映させていました。
浮かれていただけの80年代から90年代に入り、少子化、援助交際、バブルの生き残りの虚しさ等、生々しい時代描写を曲にした人です。その岡村ちゃんも90年代後半にはその「時代」というものの事が解らなくなってしまい作品も途絶え始めます。

世代や時代というものを無視し続けてきた結果がいまの音楽業界、いまの僕たちリスナーにつながっているのではないでしょうか。時代や時間の一瞬を切り取ったような描写ができるミュージシャンは今は少なくなってしまったのかもしれません。

ひょっとしたら最も近い位置にいるのは西野カナやそんな感じのその他といった(もう全く詳しくもない)、おそらく女子高生やそこら辺りに支持されている歌手なのかも知れません。

 

「そんなの全く遠いじゃん、アーティストじゃないじゃん」という人もいるかもしれません。

でも音楽の内容ではなくて音楽の広まり方を考えると、
ケータイ・スマホ・会いたい会えない・寂しくて震えるぞハート・燃え尽きる程ヒート
といったキーワードが繰り返される(?)、これほど今の時代の一部分を切り取った世界観は他に無いのかもしれないです。

僕たちの世界は、絶対的な魅力を持ったミュージシャンを選べない程多くの選択肢にあふれているのです。
だからもう盲目的に崇拝するべき対象が解らなくなっているのです。

 

話を戻します。もう戻って来れないかと思いました。このままでは編集長に申し訳が無さ過ぎて、どうあってもフェラクティの事を書かないと半裸で眠ったりできないところでした。

 

next_logo



Comments